トップ > 中遠憩いの場所 京見塚公園(磐田市) | ←前へ戻る |
古墳時代後期群集墳 (こふんじだいこうきぐんしゅうふん) 京見塚古墳周辺には、13基の小規模な古墳時代後期の古墳があります。6世紀後半から100年くらいの間に、一定の範囲にまとまって造られた古墳で、このようなまとまりを群集墳(ぐんしゅうふん)と呼んでいます。 北側の古墳は調査された姿で、南側の古墳は造られた当時の姿で復元されています。古墳の外形と、その中の構造が見比べられます。 北側の古墳は造られた当時はもう少し高く、石室の石積みもあと2〜3段あったと考えられます。天井は残っていませんが、普通は両壁にまたがる大きな石を置いています。このような構造を持った石室を横穴式石室(よこあなしきしきしつ)といいます。この石室は入口を開けると何度も埋葬を行うことができる構造であり、南側の古墳では発掘調査によって追葬(ついそう)の跡がきれいに見つかっています。 |
北側の古墳 |
南側の古墳 |
焚口 周掘底面(しゅうぼりていめん) [南側] 煙り出し 周掘部(しゅうていぶ) [北側] |
埴輪窯(はにわがま) 京見塚古墳の周掘を一部拡幅(かくふく)して作られた埴輪窯が2基発見され、うち1基を調査しました。中からは焼台として使用された礫(れき)が数十個見つかりました。 この窯は焚口(たきぐち)を周掘底面(しゅうぼりていめん)[南側]に、煙り出しを周堤部(しゅうていぶ)[北側]に設けています。焼かれた埴輪は京見塚古墳の表面に並べられたり、古墳の周囲に棺(ひつぎ)として置かれたりしました。 窯とその製品が使われた場所がわかる珍しい例で、東海地方で初めて発見された埴輪専用の窯として重要です。模型は実物大であり、天井窯壁の一部を推定復元して作られています。 全長5.5m、最大幅2.0m、床面の傾斜角は14度を測ります。窯の内部は多量の焼土や灰で埋まっており、その中からは埴輪の破片が数点見つかりました。 |
方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ) 低い方形の盛土(もりど)の四辺を溝によって区切られた弥生時代の代表的な墓で、眼下に広がる天竜川沖積地(ちゅうせきち)で米作りを営んだ集落の有力な指導者を埋葬した墓です。 台地の緑に南北に5基並んで見つかった墓は、それぞれ区切りの溝を共有し、連結しています。このうち3基を調査しましたが、いずれも遺体を埋葬した主体部は見つかっていません。 溝の中から出土した壺形土器の形から、弥生時代中期後半、今から約1,900年前に造られたものと考えられます。 古墳時代になると、この3基の方形周溝墓のうち南と北の方形周溝墓の上には古墳が築かれました。 |
手前:方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ) 奥:古墳 |
名称:京見塚公園(きょうみづかこうえん) 所在地:磐田市国府台653-1 |
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