![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||
トップ > 中遠昔ばなし > 大日ずい道と西尾只吉翁(袋井市) | ←前へ戻る |
![]() |
第139話 | (だいにちずいどうとにしおただきちおう) 大日ずい道と西尾只吉翁(袋井市) |
![]() |
宇刈の大日から森町の飯田へ通ずるトンネルがあります。 このトンネルは、今から100年位前に目の不自由な西尾只吉翁が苦労の末に掘ったものです。 西尾只吉翁は文政11年(1828)6月10日、宇刈村大日に生まれました。只吉はしっかり者で、成人し、家業に忠実に励むと共に、何か人の為になる事をしたいと常々考えていました。 ところで大日という所は、北・東・西と三方を山で囲まれ大変不便な土地で、南側の中村へ通ずる以外は全部が山坂を越えていかなくてはなりませんでした。 昔から村の人達は、トンネルを掘って他の村へ通ずる道を造りたいと思っていましたが、誰一人としてトンネル造りを言い出す人はありませんでした。みんなはただ不便な土地だとあきらめていました。 そこで西尾只吉さんは「よし、自分の力でトンネルを掘ろう」と決意しました。村の人達に堅い決意を話し協力を求めました。 けれど当時は何の測量技術も又、器具もない時でしたので、ただこつこつと人の力で“ノミで掘りザルで土を運び出す”だけの方法でした。 トンネル掘りも日数を重ねていくに従って、いやになる人が出て仕事をやめてしまう人も出ました。 それでも只吉さんは、最初の決意をかえず数年がかり、苦労の末やっと飯田の村が見え、トンネルが完成しました。 それまでは飯田村へ行くのには、飯田坂という坂を越え、馬の背に米俵なら二俵だけをつけて坂を越したものですが、トンネルが出来てからは、荷車へ米俵なら4俵から5俵も積むことが出来るようになったのです。 村の人達は只吉翁に感謝すると共に、トンネルの開通を喜びあったのです。 そして今度は、掛川の吉岡原へ通ずる中村地内の白谷に4つのトンネルを掘りました。このトンネルが通じた事によって、吉岡原の茶畑へ行くのにどんなに楽になった事かと、村人はこれも喜び合いました。 このように地元の為に尽くされたのですが、只吉翁の目は少しずつ悪くなり、遂に疲労の為、両方の眼が見えなくなってしまいました。 そして80才を過ぎ、失明してからも、ワラ草履を毎日こつこつ作りつづけ、小学校の子供達の為に毎年100足位を作って小学校へ寄付されました。 そして亡くなるまで人の為に尽くされた人です。 (「袋井に伝わる昔話」より) |
![]() |
![]() |
|
現在の大日ずい道(大日トンネル) | 「大日ずい道と西尾只吉翁」説明プレート |
←前へ戻る | |
COPYRIGHT (C) CHUEN AREA JOINT ADMINISTRATION BLOC OFFICE ASSOCIATION ALL RIGHTS RESERVED. ↑このページの先頭へ |