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第92話 | (いえやすとくさかりふね) 家康と草刈り舟(磐田市) |
天正二年(1574年)八月、徳川家康は馬伏城(まぶせじょう)にあって、武田勝頼と対抗していた。ところが武田勢は兵力が多く強かった。 為に、家康は戦いに破れて、一人逃げ出して来た。そして浅羽一色、富里などの村を通って、太田川の東の岸に出た。ところが船も橋もなく、太田川を渡ることが出来ない。さてと困ってしまった。 するとその時、老婆が一人、小舟に刈草を積んで運んで来た。 「頼む。その中に入れてくれ」 家康は老婆に頼んだ。 「お入りなされ」 老婆は機嫌よく、さッと舟を岸につけて、家康を乗せてくれた。家康はその刈草の中に入って、静かに隠れていた。 やがて舟は、和口の村を通り、西岸の蛭池の岸に着いた。そこで家康は、蛭池の安間基明の家の裏手、藪のかげに入って汗を乾かした。 同時に、自分の鎧や着物を、木の枝にかけて乾かすと共に、笠やボロを借りて来て、近くの榎の木の枝に並べて置いた。 するとこれを見た追手の兵は、 「や、中々、居るぞ」 と、三、四十もの兵が居ると見て、近寄らずに、引き揚げてしまった。お蔭で家康は無事だったので大喜び、老婆に黒印二石を授けて、浜松城に帰るのだった。 やがて慶長八年、家康は大将軍となって、中泉に鷹狩に来て、安間家に立寄って、其の折の礼として、村の大明神に、朱符二石を寄進するのであったと。 (「続遠州伝説集」より) |
現在の太田川 |
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