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中遠昔ばなし

第50話   (いのちやまのゆらい)
命山の由来(浅羽町)

命山の由来(浅羽町)

 浅羽町の中新田・大野には「命山」と呼ばれる長方形の大きな塚が二つあり、これに関する実話です。延宝8年(1680)8月のこと、この時に東海地方を襲った台風は江戸時代最大のもので、高潮と重なり、横須賀から浅羽にかけて大きな被害をもたらした。
 「…大雨、大風が鎮まらず、大潮と重なって提が切れ、浅羽中に波が打入り、東同笠から大野・中新田村全ての家が押し流された。
 人々は天井に登ったが天井まで汐が満ち、屋根を破り、軒へ取り付いて漂流したが、波に打ち砕かれ大勢が死んでしまった。僅かに助かった者も、江ノ端の提に打ち当って家は砕かれ、年寄りや子供が沈んでしまった。家財道具や死体は芝村にまで打ち上げられた。二度とこのような悲惨な体験を繰り返すまいと、残った村人は力を合わせ、避難するための塚を村中に築いた。
 その後、何度も洪水が村を襲ったが、この塚のおかげで、大勢の命が救われた。村人はこの塚を「命山」と名付け子孫へと語り継いだ…」今もこの塚は、中新田・大野に残されている。

(「長溝村開発由著書」ほか)

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