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第30話 | (そでがうらゆらいき) 袖ヶ浦由来記(竜洋町) |
桓武天皇の御代に、坂上田村麻呂が、当時の遠江国岩田梅袖ヶ浦で、村の人々を苦しめている赤蛇を蝦夷征伐の帰途に船岡山(現浜松市)の館で退治しようと作戦をめぐらしていた。そんなある夜、美しい女が館をたずねてきた。 将軍は、その女を館におくが、日を送るうちに女に魅せられ、いつしか情けを重ね女は身重になった。女は将軍に「お産の最中は絶対に部屋の中を見ないでください」と言ったが、将軍は、七日目になると好奇心から中をのぞいてみるとそこには大きな赤蛇が赤ん坊を真紅の舌でなめていた。 驚いた将軍が中に入ると赤蛇は女の姿にもどり、自分は袖ヶ浦に3000年来住む大蛇であると打明け、赤ん坊に千珠の玉を握らせると自分は岩田の海に姿を消した。 それから後、赤蛇丸と名付けられた子は俊光と改名され再びこの地を田村麻呂と訪れると、岩田の海が大荒れしているところに出くわした。俊光が母の形見の千珠の玉を海に投げ入れると海は静かになり、水が引くと渕にあの赤蛇がいた。将軍父子は、いたわるように上流にある椎河脇の渕に赤蛇を移した。 そこには椎ケ脇大明神と白山妙理大権現の社殿が建てられ今も信仰を集めている。また、水が引いた陸地は、開発が進み、人が住み、村が出来たそうです。 (「ふるさと竜洋改訂版」より) |
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