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中遠めぐり

(おおいけ)
大池
  潮の干満によって水位が上下する内陸干潟の池 (磐田市)

大池   大池周囲の整備された遊歩道
大池 平成30年8月   大池周囲の整備された遊歩道 平成30年8月
名称:大池
 (おおいけ)
所在地:磐田市二之宮
地図:Google Map (別ウィンドゥで表示)
駐車場およびトイレ:有り

大池は、潮の干満によって水位が上下する内陸干潟の池です。

1周約1.3kmの整備された遊歩道の「野鳥の楽園 大池ウォーキングコース」は、
たくさんの野鳥が飛来する大池の自然を楽しむことができます。

1 大池周辺の地形と知名
 原始、磐田原台地の南側は天竜川と太田川にはさまれた潟湖(せきこ)が広がる低湿地であったと考えられます。古代や中世には今之浦や大之浦などの湖沼(こしょう)が広がり、それが「遠江(とおとうみ)」の語源になったとも言われています。当時、大池とその周辺には一帯に沼や沢が広がって葦類が生い茂り鳥類も多く生息していました。
 戦国時代より、鷹狩りを好んだ徳川家康はしばしばこの地を訪れて狩猟に興じたといい、そこに休憩所が設けられ、やがて「中泉御殿(なかいずみごてん)」へと発展したのでしょう。
 現在、大池の北側には田園が広がり、南東には静岡産業大学、西側には住宅地が広がっています。

〈現在の大池〉
位置:JR磐田駅の南約1キロ
大きさ:周囲1.3km、面積約10ha

「中泉御殿(なかいずみごてん)」
天下泰平(てんかたいへい)260年以上続く安定した江戸時代の基盤を築いた徳川家康は、27歳から45歳まで浜松を居城としていました。この間、家康は磐田に何度も足を運び、駿府に移った後も中泉に屋敷(中泉御殿)を置き、この地での宿泊の拠点としました。

2 大池の開発と水騒動
 江戸時代、大池の水は下流の村々の水田を潤す灌漑(かんがい)用水として利用されていました。 そのため、大池を耕地に変えることは、下流地域の農民にとっては大きな脅威となりました。二之宮村の農民が大池の新田開発を計画すると、下流の大原地区の村々との間で紛争が起こり、その度に幕府評定所の裁定を受けました。
 明治3年(1870年)、二之宮の住民による大池の開拓は大池の水利に頼っていた大原の農民たちにとって死活問題でした。この計画が、静岡藩の役人となった松岡萬(まつおかよろず)の裁定によって取り止めになると、大原の住民は松岡萬の尽力に感謝し、松岡萬を祀る池主神社を建てました。

3 水騒動の終焉
 大池の水騒動はその後も続きました。明治29年に起こった大池の開拓の問題は二之宮村と於保村との間で訴訟となりましたが、明治33年の静岡県知事の仲裁で和解しました。和解では大池の水位が基準に達した場合に用水に引き入れる事などが決められました。水位を測るための量水標識石は、中大原用水にかかる左口橋のたもとと二之宮鹿苑(ろくおん)神社の境内に設置されました。江戸時代から続いていた大池の水利問題はここに解決することとなりました。

(参考資料「大池 説明看板」)

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